好きなことを自由に書いてます

ソシャゲを看取るということ

オタクを続けていくうえで避けて通れないのはコンテンツの終結
永遠なんてない、そう頭でわかっているものの"永遠"を願ってしまうのはオタクの性だ。
ソシャゲコンテンツ、命が儚すぎる。
日々新しいソシャゲたちが産まれる一方、死んでいくたくさんのソシャゲたち。
コンシューマ等でなくソシャゲという媒体を選ぶ理由、それは開発費が他と比べると安くで済むだとか、基本無料で気軽に触れてもらいユーザーを増やすだとかなんかそんな理由だろうなということは赤ちゃんの私でも推測ができる。
(※この記事はソシャゲ会社に勤務したことのない人間が憶測で書いています)

でもそれにしても……死にすぎでは!?!?
もはや数打ちゃ当たる戦法なのか?親しくしている中にソシャゲ会社勤務の人間がいないので、答え合わせができない結果そんなネガティブな考えしかできない。

思えば、週刊少年ジャンプが好きだった私だが好きになる作品は尽く打ち切られる(死神か?)
ま〜〜〜でも、掲載位置が低くて、連載開始以降巻頭カラーがなけりゃ「そろそろ怪しいか……?」と嫌な覚悟は出来ていた。
ただソシャゲは、そもそもがフルカラーだし、タップしたら何かしらの音は出るし、リリース時から豪華声優陣起用だ。
「こんなにコストがかかっているのだから(予想)、何年かは楽しめるのでは?」と淡い期待をしてしまう。
いやわかる。わかってるよソシャゲはじめコンテンツを提供している会社は世の中にエンターテインメントを!と前面に掲げてはいるが、会社たるもの従業員を食わせていかなくてはならない。赤字のものを切る選択肢はもちろん取るべきだ。
でもやっぱり……やっぱり寂しいよ!私の好きなもの、一生私のそばにいて欲しい……メンヘラ!?

同じ考えの人がいると信じたいが、課金していたソシャゲが終わると「金返せ!」「課金は無駄だった」といった感情は起きず、ただただコンテンツを支えられなかった自分のふがいなさに気が滅入る。
私は赤ちゃんなので、大した額を落とせていたわけではないけれど、それでも考えてしまう。
私が石油王だったらよかったのに、と。

好きになった男が、たまたまソシャゲのキャラクターだった。
(好きになったのがたまたま男だった理論)(BL)
でもふと思うのは、ソシャゲじゃなかったら気軽に触れてみて、出会うということもできなかったのではないだろうか。
そう思うと、ソシャゲの手軽さは自分には合っていた。

連載終了したマンガも、単行本化されていればいつでも読み返せるし、だいぶ前に発売されたゲームであっても、ソフトとゲーム機本体さえあればプレイができる。
でもソシャゲは、サービス終了すればそれ以降誰も触れることができない。
たぶん、"出会っていれば"刺さっていた人はどのサ終したゲームにもいるはずだ。
つい先日、数年前に放送終了した作品を見てその面白さに気が狂った。
でもこの作品が今も配信されて(パッケージ化されて)いなければこうして数年経った今触れることはできず、面白いと思えることは出来なかった。
ソシャゲは、あとからハマることができない。
あまりにも悲しいことだと思う。
ただ、日本ゲームシナリオライター協会による、ゲームシナリオアーカイブの公開はコンテンツ終了という闇に差す一筋の光かもしれない。
ゲームシナリオアーカイブにつきまして | 日本ゲームシナリオライター協会
会員社には我が一生推しコンテンツバンやろのシナリオを担当されていた会社さんもいるので、なんかこう上手くアレしてほしいと心から願っているが。

だらだら書いていたら記事タイトルに全く触れていない本文になってしまった。
人生で2番目に多く課金したソシャゲを看取った経験、課金したことへの後悔は全くしていないが、いつ失うかわからない恐怖に、とにかく新しいソシャゲに手を出すのは気が進まなくなってしまった。
行く末を見られないことを嘆くのなら、最初からエンディングが用意されているコンシューマーゲームだとかに手を出すのが一番なんだろうけど。
毎週更新されるストーリー、ガチャを回したときに虹色に光った瞬間(ガチャ依存症失礼します)、ああいうのも楽しいんだよなあ……。